世界精神の座標軸

ブログ → http://blog.potential-performers.com/

世界精神への私達の試みは、
私達相互のつながりという座標軸の上に、
私達の成果を浮かび上がらせている。

この座標軸の上で、私達は相互の成果を交換し、
さらに新たに、
「希望」という果実を心の内に実らせることができる。

また、その希望を私達は隣人にもたらすこともできるだろう。

私達はそれぞれに世界精神への活動の成果を得ていて、
それぞれが主人であると共に奉仕者であり、また兄弟である。

この座標軸は誰にとっても自由に扱えるもので、
それゆえ、私達には貧富の差は無い。

私達は互いに相手の活動の仕方を理解することができる。
私達自身も世界精神に奉仕してきたので。

私達は一つの共通の言葉を用いられる。
「私達の闘いは勝利であった」と。


ガラス玉遊戯者 西庄 響

(2011年12月8日発表)


世界精神の座標軸(2)

私達は自らが用いる技法について多くを学ぶ。
そして経験を重ねるごとに、生きることと技法とを愛するようになる。

文学的・科学的・美的な様々な技法がこの世界に存在する。

やがて私達は、技法を通じて普遍的な理念について想うようになる。
なぜなら、技法の誠実な使用は、、
自分が生きることと世界の存在とを比較することを導くから。

インターネットを通じて、世界の人々の技法を見る時、
その人々の技法の使用が普遍的な理念につながる誠実なものであれば、
私達の時間的・空間的・記号的な距離の遠さは、
私達の技法の可能性を広げる効果を現実にする。

なぜなら、その時間的・空間的・記号的な距離の遠さは、
私達の誠実な技法の使用を通して観てきた普遍性からのメッセージとなるから。

世界精神の座標軸。

私達の扉はすでに開かれている。


ガラス玉遊戯者 西庄 響


世界精神の座標軸(3)

私が知る限り、「世界精神」という理念は、
ヘルマン・ヘッセの最後の構想です。

しかし、ヘッセは、この「世界精神」について、
書籍では詳しく述べていません。

「ガラス玉遊戯」はその一つ前の構想で、
ヘッセは11年かけて、この構想を小説にしました。

もし、「世界精神」がより現実的なものとして、
多くの人々に感じとられるものとなるなら、
その「世界精神」は伝達の可能性をより明確化できるもののはずです。

一つの方法には、私は、先に述べたとおり、
「普遍的な理念と技法と、インターネットなどによる時空印との、相乗。」
と、とらえています。

他方、その概念を、どのようにみなさまと共に考えていけるのか、
いま私は取り組んでいるところです。

関心を持たれる方々は多いのではと思います。
世界精神の濃淡と現代の痛みとが関係あると思われるからです。


ガラス玉遊戯者 西庄 響


(2011年12月9日発表)


世界精神に想う


技法に現れる人の在り方(振る舞い方・活動の仕方)と、
誠意など心情が人間らしい共感能力で伝わることと、
インターネットによる交流の機会の国際化とで、

ヘッセが曖昧ながらも予感した「世界精神」が、
すでに、誰にでも触れられるものになっていたこと、

おそらく、
技法・心情・交流の機会(ネット)の組み合わせ以外でも、
世界精神に触れられる方法はありうるのであろうし、
(一度確認された理念は進展が加速するから)

世界精神の概念については、
多くの人々は特許などの自動化を好まないであろうし、

他方、人々にとって、
自分自身と技法・心情・交流の機会とを、
自分自身の可能性の拡大・拡張において見たいと思う、
そのようなものと感じられ、

であるから、世界精神は存在が理解されても、
定義の形で完結しない、普遍的なものとの認識であり、

現す人、一人一人により、姿の様式も異なり、
しかし、十分に検証されたものであれば、
共通のテーマ(世界精神)と理解される、

よって、その現れは、
個々人において自然発生的なものであり、

むしろ力によって主導されることは好まれない、

その参加する人々、
一人一人の試みの喜びで世界が変わるのを見られる可能性、
と、いま、感じられている。

新しい年を目前にして、
ヘッセの、この理念が世界に向けて一人歩きし、
新しい祝福となれば良いと思う。

(2011年12月10日)


世界精神を受け止め、世界精神に働きかけられる条件について。


世界精神を受け止め、世界精神に働きかけられる条件について、
私は熟考しました。

(1)その人に体系的で一貫性のある技能があること。
   (古来の日本でいう「芸」もその一つ)
(2)その人が共感能力が現われるよう心の状態を調整できること。
(3)その人が、インターネットを用いるなど、
   世界を範囲として活動できること。

これらの条件が整った時に現われる
不定形であると共に伝達媒体である作用が世界精神の座標軸。

“世界精神”はヘルマン・ヘッセが提唱した普遍的理念です。

(2011年12月12日)


祈りは心を肯定的な思考を受け止める媒体に変える


酒のまわりが速くて、
夜10時くらいにベッドに体を横たえると寝てしまい、
午前1時半くらいに目が覚めた。

ひさしぶりのパターン。

ふと、普段は抑えている怒りの感情が湧く。
すると、心のなかにあった希望などが崩れていくのを感じた。

その瞬間に気づいた。

祈りは心を様々な肯定的な思考を受け止める媒体に変え、
特にインターネットなどで遠方の人々の様子を思い浮かべるには、
祈りのような心の状態が必要である、ということを。

怒りや不安は希望を閉ざし、
希望が閉ざされると身近な物事が心に強調され、
遠方の出来事についての遮断壁を心に生みだしてしまう。

真理や真実は普遍であり不変である、とするなら、
身近なことで心が遮断されれば、
おのずと真理や真実から遠ざかることになる。

自転車に乗ることをイメージしてみる。
ペダルをこぐ足元を見ながら自転車を走らせると、
かなり危険なことがすぐに分かる。

怒りや不安は、真理や真実を、危険と置き換えてしまう。

(2011年12月12日)


常速と変速

常速とは、因果関係のための自己統整(陶冶)のことです。
この技法は世界が因果関係を見失っている時に特に有効です。
本質において、混乱のなかでの自己統整とは加速を意味します。

変速とは、他者を攻略するための手法のことです。
この技法は因果関係が安定している時に特に有効です。
本質において、安定のなかでの繰り返しとは忘却を意味します。


常速と変速(2)

競争は人に加速を求める。

競争は人々の心を分断することがある。
また、競争は文化の精神が分断されたように見えさせることがある。

一方、社会に見られる物事が分断されているとすると、
その個々の物事が本質に戻る時にも加速が生じる。

回帰することの加速。

もちろん、本質を取り戻すとは、
昔あった物事を現在も繰り返すことではない。


(2011年12月13日)

ブログ → http://blog.potential-performers.com/


 

(C)Copyright 2011 Kyou Nissho All rights researved.