まぐまぐ『ガラス玉遊戯』011サンプル  

 

□なぜガラス玉遊戯にはStageがあるか□

例として、一番最近のものを利用します。
http://glass-bead-game.potential-performers.com/sakuhin2/009.html

それでは、以下、各ステージの流れを説明します。

思考において、音楽で感覚を先行させるか、数学で対象を先行させるか、
で、主導理念の提示がなされます。

これは、理念というものは概念の概念であって、具体例を示すことはで
きても、全体を一言で言い表すことができないことからきています。
例えば「愛」は子供に対しても言うし、恋人に対しても言うし、弱者に
対しても言いますが、「どれが愛であるかを決定的に一言で言う」こと
はできません。

すると、ガラス玉遊戯で全体を暗示する理念もまた、一部分を表現する
ことはできても、全体を表現することはできません。

ところで、ガラス玉遊戯は理性領域の芸術です。
私たちは、ものごとに理由を求めます。あるいは、ものごとに理由を解
明します。この理由を自由に美的に扱うのが理性領域の芸術です。
すると、詩が哲学で解明されていない主題を美的に扱うように、解明さ
れていない理由を美的に扱うことになります。

美は調和です。

可能性は理由からきます。

ガラス玉遊戯に奔放に展開される理由に調和をもたらすには、あらかじ
め「どのように思考されるか」が提示されなければなりません。
それがStage1の主導理念の提示になります。

次に、Stage2では、さまざまな文化的資産を利用して、可能性を
展開します。可能性は上位の可能性と対になります。なぜなら、そうし
ないと、不完全な可能性で理性領域を扱うばかりとなり、単なる発想の
羅列でしかなくなります。それでは、理性領域の芸術というのに値しな
くなってしまいます。

Stage2の表現方法は自由でかまわないことにしています。
ただし、理念相互の関係が明確である必要があります。

ヘッセは、ガラス玉の遊びが、やがて全ての文化的資産を扱う魔術記号
へと進展する、という記述を、原著「ガラス玉遊戯」で述べていますが、
この方法も現在は解明されています。
ただ、私の文をそのまま引用して自分のもののように公表したりする人
も現にあらわれてきていますので、現在は秘密にしておきます。

Stage3で、作品全体の解釈を加えることで、自由に展開された上
位可能性に対し、思考の条件が加えられることになります。
こうすることで、上位可能性が適用されうるさまざまな物事に対し、ど
のように考えればよいかについて、形式が与えられることになります。
言い換えれば、展開された上位可能性が、どのように物事に関係させら
れるかの、宣言が行なわれます。

言わば、考えないことを考えられるようになる、ということです。
なぜなら、展開された上位可能性が適用される下位可能性は無数にある
わけですが、それに対して、「いかに考えるか」が加わることで、考え
られる前に、すでに考えている、という状態が生じるからです。

Stage4では、Stage1〜3で、理念から可能性の展開、可能
性の展開から具体性への制限と進みましたので、その理念と具体性との
関係から、現実に何が実証されうるかを考えます。
ここでは、ヘッセの原著での記述を超えて、ガラス玉遊戯の実利性が現
されることになりますが、しかし、この実利性を現せる過程で、人間の
尊厳が示されることにもなります。人間の偉大さと言ってもよいかもし
れません。

もともとのヘッセの書でのように、ガラス玉遊戯が単なる観念の遊びで
あれば、ヘッセの書にある人間の崇高性を示すものとしては、不十分な
ものであったのではないかと思います。それで、Stage4は必要な
ものとしています。

Stage5は、利用した文化的資産の紹介ですが、紹介のみならず、
これら文化的資産の再評価やガラス玉遊戯への貢献を記述するなどする
ことにします。

それでは、また、次回に。


  

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