まぐまぐ『ガラス玉遊戯』010サンプル  

 

□ガラス玉遊戯での偉人の感覚□

作品ができるごとに、このメルマガを出そうと思ったのですが、一回の
創作につき数冊の本を読むなど、ガラス玉遊戯の創作には時間がかかり
ますので、それではメルマガも月一回になってしまいますので、ガラス
玉遊戯について、創作の途中で気づいたことなども、エッセイ風に、文
にしておとどけすることにいたしました。

ガラス玉遊戯では、可能性において全ての文化的資産を利用します。言
い換えますと、全ての文化的資産を、可能性において感じながら創作を
することになります。

一つの可能性を見い出すために、一つの書籍に取り組んだりします。そ
の時に、その書籍を書いた人の偉大さに触れることになります。

多くの可能性を見い出すために、多くの書籍に触れます。そして、それ
らの書籍を書いた人の人格に触れます。

多くの可能性が、調和により一つの全体に達すると、多くの書籍に感じ
てきた人々の人格が、一つの全体のなかで一つになり、超人間的な精神
の持ち主に出会うような感覚になります。

私たちの現実の世界を見た時、この世界を創った人々の偉大さと、この
人々に共通する性質を持つ、より優れた人がイメージに浮かぶようにな
るのです。

もちろん、それは、調和の美のなかで感じる、悪く言えば錯覚で、良く
言えば理想にすぎません。

以前にも述べましたが、ガラス玉遊戯は主観的な妥当性の上でのみ、各
文化的資産を利用します。ですから、その成果は、美的な価値のみを持
ちます。
しかし、美的な想像力は、論理を含め実利的な人間の能力の素材を想像
する能力でもあり、いわゆる発想力の向上の作用があります。

人間は、想像力を高められると、さらに飛躍した想像力に及ぼうと、思
考が意欲的になります。

こうして高まった想像力を発揮することができるのではないかと考える
ようになり、先に述べた超人間的な人間のイメージと、自分とを重ねて
感じるようになるのは、ある種、宗教的な経験でもあるでしょう。

しかし、その超人間的な人間というのは存在しません。イメージの産物
です。

しかし、憧れの力は、人に勇気を与えます。
そして、超人ではなくても、勇気をもって生きたそのために、偉業を成
し遂げた方々の結果が、いまの私たちの文化文明であり、イメージにお
いてでも、これらの方々と自分を一致させて経験できることは、自分を
再発見し、勇気づけ、前進させる、きっかけとなるでしょう。

芸術は、美的な意味で、人に奇跡への誘惑をおこないます。
ガラス玉遊戯では、文化的資産を用いるだけに、人間の奇跡への誘惑が
あります。

それでは、また、次回に。


  

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