まぐまぐ『ガラス玉遊戯』009サンプル  

 

□ガラス玉遊戯への数学の利用□

数学は、純粋な思考の形式で進める学問です。
純粋な思考の形式とは、あらかじめ材料が与えられなくても可能である
思考で、実質は形式のみである、ということです。

例をあげてみましょうね。
ここにミカン3個と、リンゴ2個があります。あわせていくつですか?
という質問では、5個という答えがきますね。
では、ここに水3リットルと、長さ2mがあります。あわせていくつで
すか?と質問されたらどうでしょう?
リットルやメートルを無視してよければ、答えは5個です。

a+b=cであれば、3+2=5なわけです。

少し無理な説明ではないかと言われそうですね。
それでは、1リットルの水が入った容器3個と、1mの長さのモノサシ
2個では、あわせていくつですか?と書き直してみましょう。

リットルやメートルという、経験によるものを考えるには、単位という
あらかじめ与えられた思考方法が必要なわけですが、数学では、経験な
しに論を進めることができ、その論は成立されるものとされています。

ですから、経験を含める場合には、その説明が必要、という立場です。
「リンゴとミカンとは、別に考えること。」のように。

さて、ガラス玉遊戯に数学が有効であるとするなら、経験的に思考を先
立たせることができるので、可能性をより自由な立場からとらえること
ができる、となるでしょう。

もう少し具体的にしましょう。
例えば「集合」という数学の考え方は、星々にも人々にもあてはめるこ
とができます。物理現象にも可能です。
正座に、クマとか弓とかの形を与えるという主観的な作業にであっても、
グループ“クマ”とか、グループ“弓”とか言ってもいいわけです。

こうして、数学的にとりあつかえる様々な事象に物事を適用して、ここ
が大切ですが、“主観的に”可能性をあてはめていっても良いのです。
主観的に展開された可能性が、再度数学的に考えられる時、新しい法則
などに答えが見つかるようであれば、元々の数学の法則をいかに主観に
結びつけられるかに、先見力があった、とされるでしょうね。

自由に持ち込まれた対象に、感性で応えるよう、数学での思考の形式を
利用しながら、上位の可能性を準備していくことで、経験に可能性を先
行させることができる、となります。

こうして、あらかじめ物事につながるように、数学をガラス玉遊戯に応
用できる数学者がいたとしたなら、実践をあらかじめ予感する数学者、
とされることではないかと思います。

新しい作品ができました。
http://glass-bead-game.potential-performers.com/sakuhin2/009.html
集合や平方根からはじめて、命の物語と関係していくのは跳躍しすぎの
ように見えてましたが、ステージ4の現実における実証についてで、き
れいに、まとまりました。

しばらくは簡単な作品を続けて、後に大きな作品にはいっていくように
したいと計画しています。

それでは、また、次回に。

  

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