まぐまぐ『ガラス玉遊戯』007サンプル  

 


□音楽がなぜガラス玉遊戯に有用か?□

行動する時に「なんとなくそんな気分だったから」ということ、ありま
せんか?ありますよね?

それで、結果が良ければ、特に嬉しい気持ちになりますよね?
「なんとなく」で結果が良ければ、ツキがまわってきているというか、
何か解放された気分になりませんか?

さて、音楽では、この「なんとなく」という気持ちを、上手く表現する
ことができます。もちろん、楽器に親しんだ人にとっては、ですけれど
も。

そして、「なんとなく」の気持ちを表現した音の並びに対して、別の「
なんとなく」の音の並びをあわせていくことができます。セッションと
か言われるものですね。

さあ、ところで、「なんとなく」に現実が一致すると楽しいのであれば、
「なんとなく」に可能性がある、という言い方ができるのではないでし
ょうか?
そして、「なんとなく」から「なんとなく」へと気持ちが移り変わって
いくことに、可能性から可能性へと、可能性が表現されてきたとしたら、
気持ちいいですよね?

ガラス玉遊戯では、可能性を自由に扱う芸術、ということになっていま
す。
例えば、一つの事実Aが、小さな可能性abcde・・・の並びで表現
されるとします。すると、具体的に表現されたabcに、別の事実Bで
応じたり、表現されていないefg・・・に別の事実Cで応じたりして
いくことになります。

重要ですから、繰り返しますね。
具体的な可能性に別の可能性で応じることもあれば、具体的に表現され
ていない可能性に別の可能性で応じることも、許されているのです。
ある可能性に対し上位の可能性を用いるので、上位の可能性は表現され
ていない下位の可能性にも応じるものと前提されているからです。

具体的な可能性に、別の具体的な可能性で応じるだけであれば、ブレイ
ンストーミングと同じくらいの意味にしかなりません。しかし、未知の
可能性にも応じていくことで、結果、具体的に表現されたたくさんの可
能性が全体として、それ以前には考えられていなかった事実DなりEな
りを明らかにする時に、芸術特有の解放された気分があらわれるのです。

音楽に話をもどしましょう。

音楽をガラス玉遊戯に利用する利点は、表現されていない上位の可能性
を、情感であらかじめ受け止める準備ができるためです。
情感があり、可能性で情感を満足させるとするなら、情感を豊かに可能
性に先立たせられることは、可能性を扱うのに、とても役立つことにな
ります。

ヘルマン・ヘッセのコンセプトでは、音楽と数学とを共通の分母として
すべての文化的資産を用いる芸術、となっています。

では、数学がなぜ音楽の代わりになるのでしょうか?

それは、数学は、特定の対象を指定しないまま、思考の展開を客観的に
できる特徴があるからです。これは、上位の可能性の対象を特定しなく
ても、上位の可能性を思考の展開で受け止められる性質があるからです
ね。

これは、また、次回にしましょう。

では、また。

  

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