まぐまぐ『ガラス玉遊戯』002サンプル  


ガラス玉遊戯の可能の根拠

音楽で音を扱うように、可能性を扱うことで可能になる芸術が可能
になっております。以下は、この可能性の芸術が可能になる根拠の、
大切な部分の説明です。

人間は可能性を扱うことができます。

可能性とは、広辞苑第五版によりますと、以下のようなことです。
かのう‐せい【可能性】
(possibility)
(1) できる見込み。
(2)〔哲〕
(ア)論理的に矛盾が含まれていないという意味で、考えうること。
(イ)あることが実現される条件がそれを妨げる条件よりも優勢で
   あると確認されていること。

ガラス玉遊戯は、可能性を自由自在に用いることで、全ての文化的
資産を素材としておこなう、芸術、と、定義させていただいており
ます。

可能性の芸術であるガラス玉遊戯で、注目したいのは、可能性は思
考であるとともに、事実の一部を含む現実でもある、というところ
です。
言い換えれば、わずかでも現実性をそなえた可能性を、同じ現実性
をそなえた他の可能性に置き換える思考を、人間はすることができ
る、ということになります。

また、現実性を確認できるなら、ある可能性を含む、より大きな可
能性を思考したり、より小さな可能性を思考したりすることもでき
ます。

他方、哲学から数学にいたるまで、お茶から音楽にいたるまで、さ
まざまに残された文化的資産から、いくらかの現実性をひきだすこ
とは容易です。そして、ひきだした現実性を、可能性において考え
ることもまた、容易です。

こうして、文化的資産から現実性を得、現実性を可能性で思考し、
可能性を他の可能性に置き換えたり関連づけたりし、思考された可
能性の現実性を含む文化的資産を探すことが、可能になります。

見つけられた現実性を適用する可能性が未定の場合、また、適用さ
れる現実性が未定の可能性を扱う場合、可能性は抽象的なものにな
ります。しかし、抽象的でも可能性は思考されるものであり、芸術
は表現するものであり、表現には手段が必要ですので、可能性を一
般にはガラス玉で扱う、という提案をさせていただいております。

ヘッセのノーベル賞作品である小説「ガラス玉遊戯」で、全ての文
化的資産を素材にする芸術の手段としてガラス玉を用いる、という
モチーフは、実際、ガラス玉を用いてみると、無機質さと美感と識
別性と神秘性の表現が、可能性の象徴にふさわしいことが、よく理
解できます。

文化的資産−可能性−自由な思考、という手続きを繰り返している
と、わりと短い期間のうちに、自分の思考力が大きく様子を変える
ことが体験できます。


  

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