普遍的コンテクストと可能性

美の修練をされた方が可能性を扱える理由を、メーリングリストで制作中の図式を例に、ご説明いたします。

現在製作中の図式は「神話」という題です。

現在まで、マーサ(オス)さんの詩を図式法で展開した後、可能性の解釈をおこないました。
象徴を予見的に扱える可能性が表現されていることが分かると思います。

自由の芸術の図式法でも同様にできますが、Pirochuさんの言葉をかりますと「考えないことを考える」という感覚をご理解いただけるまで、少し時間が必要かと思いますので、今回の可能性の提示は、私がおこなうことにします。

マーサ(オス)さんの詩がコンテクストを示し、図式による解釈が可能性を示しながら、双方に同じ思考の形式が成り立っていることを確認してください。美について訓練された方は、図式法により、可能性を自由に扱えることがご理解いただけることと思います。

また、Akiさんの詩、私の詩と、図式の解釈を続けるうちに、美の能力で普遍的コンテクスト(詩人がポエジーと呼ぶもの)に応じようとすると、可能性がある振動する何かのなかで現れることを、感じ取っていただけるかと思います。

 

無意識

 不思議がるな

 理由など無い

 僕の言葉を

 そのまま聞けばいい

 たとえそれが

 おまえを混乱させても

 僕であるうちには

 それ以上のことはない

 たとえ

 明日の僕が

 今日の僕と

 同じである保証など無いとしても

"Unconscious" (C)Copyright 2002 マーサ(オス)

[図式からの解釈]

現象の記述は学術の各分野特有にされるが、もし現象の普遍的な記述法があると仮定した場合、以下のように発想される。

普遍的実在者(神)が参照されるものとして、象徴が解釈される。
なぜなら、象徴は人がさまざまな現象を包括的にあらわすものだが、仮定により、象徴による現象と象徴の外の現象とに客観的な関係が予見されると、されているためだ。

これらから、原始宗教においてのように象徴が予見的に用いられることは、神と自己を同一視する理由として不十分なものであったにしても、予見が可能という規則が主観的に成り立つことから、さまざまな現象が無意識に同一視されるという点で、私たちの意識において認められることが分かる。

 

 

(C)Copyright 2002 Kyou Nissho

 

  神話

液体の時の響きに揺られ

 永遠を名づける指先に

故郷を思い出しながら
 流血の音楽に心を動かされる

 力が
  私たちを押し流しながら

  消え去ってほしい歴史にとどき

夢のなかで見る夢が
 ゆりかごのように揺れ

 語られない物語の
  音域になり

 千年の神話からの
  響きになる

"Myth" (C)Copyright 2002 Kyou Nissho

 

[表現された可能性]

催眠やストーリーの夢想を、人の生存の能力と関係づけることの、可能性。

[図式の解釈]

人間の生は世界に実在するものの影響を受ける。
同時に、人は思考により活動の仕方を変え、実在する事物の影響との関係を変化させる。
これは見方を変えると、実在する事物の影響に応じて、自らの思考の領域を開拓することは人間らしい能力、と評価できる。

宗教におけるような儀式は、人の意識を個人の事情から解放する。
これには、実在する事物の影響に応じるのが人間の長所であるとするとき、個人の快不快という事情からその個人を解放する効果がある。
また同時に、実在する事物の全ての影響を知り得ないまま、宗教による概念はそれを説明されたものとしてしまう。

催眠やストーリーの夢想による意識の解放がある時、苦難などにより制限されていた意識が解放され、無意識に制限されていた思考の領域が解放される。これは、心理学では「内制止」の解除というようだ。

 

(C)Copyright 2002 Kyou Nissho

(2003年1月4日)

 

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