ガラス玉遊戯の物語と主題

 

作品

ヘルマン・ヘッセの最後の小説。ノーベル賞作品。1934年に同作品の『序章』と『雨乞師』が
「ノイエ・ルントシャウ(新展望)」に掲載され、1943年に『ガラス玉遊戯』2巻が刊行された。
日本では絶版になっている。

 

物語

キリスト教中心の世界から、人間精神による世界を人々は望み、勝ち取ったが、
やがて雑誌や新聞の文芸欄のようだと称される時代にはいった。
メディアや講演会を通じ、学術や芸術の価値ある成果が
自己満足のために乱用され続け、ついに人々は人間精神に失望するようになり、
言いようのない不安のなか、人々は救いを感じなくなっていった。

やがて戦争の20世紀がはじまり、そして過ぎた。

ヨーロッパのあちこちに、
学術や芸術の成果を用いて芸術を試みる人々があらわれた。
精神の権威を人々に感じさせながら、300年以上の時をかけ、
全ての文化的な資産を用いる芸術がゆっくりと成長した。

荒廃した時代が過ぎるなか、ガラス玉遊戯と呼ばれ、
人々の希望をつないだこの芸術は、
西洋の音楽と東洋の瞑想の上になりたっていた。

人々はガラス玉遊戯を象徴とした、カスターリエンという教育州をつくり、
精神の権威を守った。カスターリエンの人達は、精神の純潔のため、
あらゆる世俗的な成功から隔てられたが、そのかわり、
学問や芸術への生涯が保証された。カスターリエンからは、
世界中に、各分野の教師が派遣された。
ガラス玉遊戯は、年々、世界中の人々が見守るなか、上演された。

さらに年月がすぎた。

クネヒトは、最高の権威であるガラス玉遊戯名人になる。
しかし、時代の最高の座につく才能とともに生まれながら、しだいに
世間の住人達の刺激から、共振し、自らが生きていていくものを
見いだしていくクネヒトは、やがてこの座を捨て、
友人の子チートーの家庭教師の職を手がかりに、
世間の生活を得、伝説のかなたへ消えていった。

参考

インターネットに接続して、glass bead game
で検索すると、かなりの数がヒットする。
興味深いのは、多くの人々が、
ガラス玉遊戯を実現するために研究していることである。
アメリカでは実践的に、ドイツでは大学の研究として。

 

私の考察から

ヘッセは、ガラス玉遊戯を現実的なものであるとする記述をくり返す。※1

ヨーゼフ・クネヒトの自筆の翻訳※2

・・・なぜなら、ある程度の考慮においては、そして思慮のない人々に対してなら、存在しない物事は簡単に、そして無責任に、存在するかのごとく言葉で表されうるのだけれど、しかし、真実へ献身する良心的な歴史家においては全く逆だからである。証明できるでもなく、もっともらしくもないことを、しかし、真実へ献身する良心的な人々がある程度存在する物事として扱うことで、運命による成立へ、その存在へ、その可能性へと、一歩近くに導かれることで、確かなこととして人々の目の前に思い浮かべられることほどに、言葉によって表現されることが、はなはだしく抑制されることはないし、それにもかかわらず必要とされることもないのである。


ガラス玉遊戯 (ガラス玉遊戯から 詩)※2

宇宙の音楽と名匠の音楽を
私たちは 畏敬の念で 心して 聞くことができる
純粋な祝祭のため 恵まれた時々の尊敬される精神を
呼び現し

秘密により 私たちを高めよう 魔法のような呪文の文字へ
その魅力のなかで とらえどころのないものを
荒れ狂うものを 命を 澄んだ例えで 駆け終えた

星座たちに等しく 記号たちは鳴り響く 水晶のように
奉仕のなかで 私たちの生命へ意識は そして
何ものも 記号たちの還から下りられない
崇高な中心へ続く他には

哀調

自由に詩などを書くことが禁止されていたという意味で、
「カスターリエンでは、すべての創作活動が禁止されていた」
※3
という記述がある。
人々が精神的であるために、ガラス玉遊戯により感じられる、
古い時代の模範的精神が必要だったという背景に比べられ、
丹念に描かれた、カスターリエンの人々の高度な修養をおこなう姿が、
読み手に哀調を感じさせる。

物語は、この哀調を否定しないまま、主題へ向かっていく。
一般に、物語の設定としてヨーロッパの没落があげられる。
ヘッセはナチスが勝利すれば死刑になるかもしれないという状況であった。

主題

ラストでのクネヒトが突然いなくなったことに、私はあっけにとられた。
しかし、作品の美しさは「より深い理解」を私に要求していた。

最後の章だけ「伝説」という設定で書かれていることで気づいた。
最後の章で、クネヒトは主人公ではなく、精神を愛する人々の象徴
であることになる。

ガラス玉遊戯に天分を持ち、文化の頂点へ向かうと同時に、
文化への原始的な衝動に応じる道を歩んでいった。

これが『世界精神』と『始まりの魔法』という主題につながる。

段階 (ガラス玉遊戯から 詩)※2

それぞれの花がしぼむように それぞれの若さが
老いに遠ざかっていくように 知恵はまた そして
高潔な心は その時を咲き 永遠に続くことはできない
勇気を持ち 悲しむことなく 異なった 新しい
かかわりを自らに与えるため 心は命の呼びかけに
別れと新しい始まりを 覚悟しなければならない
それぞれの始めに魔法が宿り 生きることについて私たちを
守り 助ける
いどころから いどころへ 通り抜けなければならず
故郷のようなものに 愛着することはできない
世界精神は しばりつけたり せまくするのではなく
段階から 段階へ 私たちを高め 広げる
親しみある命の圏へ くつろぎへ 住めることなどわずかで
弛緩には脅しをかけ 出発の準備のできた旅人だけが
なえさせる習慣づけから身をかわせる

たぶん 死の瞬間もまた 私たちを新しい いどころへ若く
立ち返らせ 生命の呼び声は一度として止まないだろう...

ならば さあ心よ 別れよう はれやかに!

物語は、角川文庫刊 ヘルマン・ヘッセ著 井手賁夫訳 「ガラス玉遊戯」
(以下、「ガラス玉遊戯」)を読了後、まとめたものです。
概略は清水書院刊 井手賁夫著 「人と思想89 ヘッセ」から。  
※1 「ガラス玉遊戯」の解説部分によります。
※2 Hesse "Das Glasperlenspiel" から私自身による訳です。
※3 「ガラス玉遊戯」本文によります。

(2001年11月13日更新)

リンク 更新 2005年3月20日

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