ガラス玉遊戯の可能の根拠

芸術は表現されるものです。ですから、ガラス玉遊戯の可能の根拠は、ガラス玉遊戯のおこなわれる領域である理性が扱う原因を、美のために扱いうるものにするものでなければなりません。


1.二種類の判断と理性の芸術

規定的判断や反省的判断は、「特殊」「普遍」などの概念を用いて説明されるのですが、

簡単にするために、まず、二つの判断を効果についてとらえ、説明します。

今回の記事では、簡単にした判断の説明を用います。

 

ある部分の解明のため、確認される全体により判断する効果は規定的判断に属します。

学問で法則を現す時などに用いられる判断です。

与えられた部分を用いて、想定される全体により判断する効果は反省的判断に属します。

芸術で美を現す時などに用いられる判断です。

 

理性の芸術では、学問を含めて、全ての文化的資産を反省的判断で扱います。

これは、ある法則を、想像可能な全体を用いて扱うことです。

 

例えば、1+1=2ですが、これを反省的判断でとらえなおすと、

「対象は実在としてとらえられる」とか、「世界は総量でとらえられる」などとなります。

 

2.反省的判断を用いて美を創る

ある文化的資産を反省的判断したAがあるとします。

このAには、abcdeなどの部分があるとします。

反省的判断では、与えられた部分から全体を想像しますので、

例えばAのcから他のBという全体が反省的判断により得られるかもしれません。

このBが何かの文化的資産を示していれば、反省的判断を用いて、

AからBの文化的資産を現出したことになります。

 

芸術一般についてそうですが、反省的判断であつかわれたABCDE・・・などが、

同一の全体で扱われると、部分である物事を扱う能力そのものが肯定され、

世界を創造できるという印象が生じ、快感が起こります。

 

3.理性領域の美を創る

理性は原因をとらえる能力です(感性は対象をとらえる能力、

悟性は思考形式をとらえる能力です)。

理性領域の美を創るには、原因を反省的判断で扱わなければなりません。

 

原因には結果があります。しかし、ガラス玉遊戯では、結果を得る前に原因を扱うのです。

 

これは、文化的資産の反省的判断を可能性に高めることによっておこないます。

文化的資産は、反省的判断に置き換えられた時点で、客観性を失います。

なぜなら、反省的判断は主観的判断だからです。

しかし、この反省的判断を利用可能な「人の能力」を見いだすことで、

反省的判断は結果を前提するようになります。

例えば、1+1=2の反省的判断を用い、

人の能力として「人間は実在を扱いうる」としたとき、

その実在の対象は1+1=2以外でも、扱いうるようになります。

この時、「実在を扱う原因」がこの可能性のため、扱われているのです。

 

こうして、原因を、人の能力を前提に、

文化的資産を用いて反省的判断でとらえていきます。

多くの文化的資産を用いながら、可能性が、物事について、同一の全体で扱われると、

原因を扱う理性の能力が肯定され、快感が生まれます。

この時の快感は、可能性において原因が扱われるため、

現実化への理性への期待をともなった快感となります。

 

4.ガラス玉遊戯を実践する

現代は、ありがたいことに、インターネットがあります。

文化的資産を見つけることも、

文化的資産の反省的判断の内容から他の文化的資産を見つけることも、

検索することで簡単にできます。

 

文化的資産から反省的判断を創り、反省的判断を用いられる人の能力で可能性に高め、

可能性において原因を扱います。

この行程をインターネットで検索をしながら、おこなうのです。

 

可能性Aから可能性Bへと、そしてCへDへと移ります。

こうして続けていくと、いくつかの可能性をグループにして、

他の可能性のグループと対比するという発展が生まれます。

この可能性のグループをガラス玉で扱うことにします。

このガラス玉は、可能性で扱う原因に、その上位の原因が想定されることを意味しており、

普遍的可能性と呼ぶことにします。

ガラス玉遊戯では、まず上位の原因を扱いながら、個別の原因を扱っていきます。

 

ガラス玉を配置し、対比したり置き換えたり同列にする手段は、

あらかじめ提出された人の能力を構造にすることでおこなうことができます。

可能性の客観的媒体は、理性の芸術では、人の能力だからです。

 

反省的判断でとらえられた飛躍した思考を、人の能力で可能性に高めるのです。

 

ガラス玉遊戯では、原因の原因を前提し、扱っていきます。

 

5.ガラス玉遊戯の発展

 

ガラス玉遊戯で用いられるガラス玉は、ヘルマン・ヘッセが小説で提示したところでは、

宇宙語とも言うべき魔術記号に発展していくことになっていますが、

この可能の根拠は、残念ながら、現在は秘密にしなければなりません。

なぜなら、かつての私の記事を複製して自分のものとして主張する人が、

複数発見されているからです。

 

本質を知らない偽者を世に出してはいけません。

 

これまで存在していなかった理性領域の芸術であるガラス玉遊戯の扉は、

項目1〜4の内容で開くことができます。

今後、ガラス玉遊戯への参加者が増えてきて、

実際のガラス玉遊戯の結果を用いて発展させていき、

ふさわしい段階で、私の知っていることをお伝えしたいと思います。

 

多くの専門家や、人生に希望を持つ人々と共に歩んだ結果が、

ガラス玉遊戯の現実となることを期待しています。

 

みなさまにとって試みるに値するものと、私は信じています。

1+1=2でさえ、文化文明の再発見につながるのです。

ガラス玉遊戯は人生の向上につながるものです。

 

(C)Copyright 2007 Kyou Nissho. All rights reserved.